先日、長年許せずに絶縁していた人に連絡を取ってみました。

よく、「許せないあの人の許し方」についての記事は見かけますが、許す前後の過ごし方や心境の変化について書いた記事があんまりないな、と思ったので、今日はそんなお話をしてみたいと思います。


許すに至るまで

許せない、許さない、憎しみを忘れるものか、という想いをずっと握りしめてこれまで生き続けていたのですが、それが自分の生きづらさの大きな要因になっていると感じて、なんとかできないかな、といろいろ本やブログ記事を読んでいました。

その中で、
憎いあいつを許してしまうことで、すごく損をした気分になるかもしれない。
しかしその人を許さないことで消耗したり、傷ついたり、他の似たような場面でその時の傷がうずいたりと、もっと嫌な思いをたくさんして、もっと損してしまう。
だから許すという損をあえてしてみよう。
というような内容の話を読んだんですね。
それがきっかけで、「あ、ちょっと許してみようかな」という気持ちが芽生え、行動に移すことができました。


心境

許す、というのは許し続けることだ、とどこかで読んだ記憶があります。
許せない思いが長い期間積もって凝り固まっているほど、一度許す、と思っても、すぐに「でもあの時のあのことは忘れられない…」となってしまいます。
ただ許す、と心に決め、意志の力だけで許し続ける、というのは難しいと思いました。

そうでなく、本人にもし声が届けられるなら、ちゃんと話をして、「あの時これが悲しかった、傷ついた」と伝えたり、相手の思惑や気持ちをちゃんと聞いたりすることで、わだかまりが解けやすくなるのではないかなと思います。

相手と話してみると、
思っていたより憎まれていなかったし、嫌われていなかった
傷つけたくてそんなことを言ったのではなかった
誤解があった
余裕がなくてあんな言動になってしまった
…いろいろなことに気づかされます。


会って、許して、それからどうする?

許さないと強く強く握りしめている力が強いほど、その手を緩めた反動でものすごい疲労感に襲われます。
涙も出てくるでしょう。
たくさん泣いて、信頼できる人に話を聞いてもらって、まずはゆっくり自分をいたわりましょう。

許さないの力を前進するパワーに使っていた人は、一旦動けなくなります。
もうこのまま、何もできないまま、二度と動けなくなるのでは、と不安になることもありますが、
しばらく動けなかったら、じっと待っていれば、いずれ通り過ぎていきます。

おいしいものが食べたい、絵を描きたい、眠りたい。
自分の欲求を丁寧に叶えていくことで、だんだん回復していきます。

しばらくは、いつもならさくっと片付けられるような、やっておくべきこと(でも、特にやりたいわけではないし、やらなくても多分死なないようなこと)に着手するのがすごくしんどかったり、着手してものろのろとしか進まないかもしれません。

また、いろいろな力が抜けてしまって、これから何をしていいのか、どうやって生きたらいいのか、かなり途方に暮れます(そのまっただ中です)。
ですが、前進するためのエンジンの積み替えをしている時期なのだと、ただじっと過ぎるのを待とうと思います。脱することが出来たら、また記事にします。


まとめ

なんとなく、誰かを許すということはすごくハッピーでポジティブで元気の出ること、というイメージが強かったので、虚脱感や疲労感がとにかくすごい、といういまの状況に少し驚いています。
少しずつ、丁寧に感じながら過ごせていけたらいいなと思います。